みなさんは、朝起きると仕事や学校へ行くなど決まったことをしますよね。でも「そうしなければならない究極的な理由」はどこにあるのでしょうか。
「宇宙は、ビッグバン、すなわち【無】の量子的ゆらぎによる無作為な爆発によって始まった」と私たちは教えられています。百億年以上もかけて、星々は形成されたり爆発したりし、それによって元素(炭素・窒素・酸素など)が出現し、それらの元素からすべての植物や動物が出現したと教えられています。ようするに私たちは、元をただせば、ただの星屑にすぎないと言うのです。
人類は、何百万年どころか百数十億年の進化の所産であり、進化の最終段階で偶発的に出現したのだと言われています。そしてついに人類は、最終段階の最後に、数百万年前もの時をかけてサルのような祖先たちから進化して出現したと教えられているのです。
「まじめな科学者で進化論の真実性に疑いを抱く者がいないことは、今や疑いの余地もない。すなわち、私たちはチンパンジー、サル、ウォンバット、ヒクイドリの親戚なのだ」
(オックスフォード大学リチャード・ドーキンス教授、科学雑誌コスモスのインタビューより、2012年5月23日)
かつて人々は「愛の源である創造主がこの宇宙を造り、最初の男女をエデンの園(死がなく、痛みも破壊もない完璧ですばらしい園)に住まわせた」と信じていました。
エデンの園では、すべての動物はベジタリアンで、アダムも彼の妻エバも木の実や果実を食べて暮らしていました。そこはまさに楽園でした。
しかし150年ほど前から、私たちは「人類は進化したのであって、創造主に造られたのではない。死は生命にとって自然の摂理だ。」と教えられるようになりました。それは実のところ適者生存、言い換えると弱肉強食がすべてだという教えです。
リチャード・ドーキンス教授は「私たちが住んでいる世界は、意図もなく、目的もなく、悪もなく、善もなく、盲目以外の何ものでもない、無慈悲で無関心な世界だ」と述べています。
一方、聖書は進化論とは違う歴史を教えています。『天地を創造し、そこに人を住まわせた、本当の主がこう仰せられる。「わたしこそ主であり、本当の創造主である。」』(創造主訳聖書イザヤ書45:18)「創造主は、この世界を越えて存在し、地球を宇宙の中に置かれる。」(ヨブ記26:7)
もし、創造主が全てを支配しているのであれば、地球だけではなく、あなたの人生にも創造主の計画と目的と意図があります。
アダムとイブがすばらしいエデンの園で創造主に逆らった結果、世界は創造主によって呪いの下に置かれました。そのために死が世界に存在するようになったのです。
私たちすべてはアダムの子孫なので、罪の性質も彼から受け継いだのです。その罪の性質は、いつも私たちを創造主に逆らわせようとするのです。そしてそのために私たちすべては死ななければならないのです。しかし、それで終わりではありません。話しを先へ進めましょう。
私もまじめな科学者ですが、分子(ビッグバンで始まった最初の元素分子)がやがて人に変化したという進化論に疑問を抱いています。植物や動物が種類の中で変化することは疑う余地もありません。私たちはそれらの変化を観察できます。ですがそれは微生物がやがて微生物学者に変化するという種類を越えた変化ではありません。これらには大きな違いがあります。その違いは情報…私たちのDNAに見られるような特別に暗号化された遺伝情報です。このような情報をプログラムできるのは、知的存在だけです。知性も意図も働かない偶然によってはDNAのような遺伝情報は出現しないのです。
私もかつてビッグバンと進化論を信じていました。私はそれらを高校で学び、事実と信じて大学へも行きました。当時私は無神論者でした。大学で私は物理学を専攻し、特に天文学と宇宙論に興味をもっていました。そして私は宇宙がどのように始まったのか、私たちがどこから来たのかを知りたいと願ったのです。私は大学にいたクリスチャンたちに質問しましたが、彼らはその手の質問に答えられませんでした。彼らの答えはいつも「ただ信じなさい」でした。しかし、その答えに私は納得がいきませんでした。
私にとって宇宙とは理解できるはずのものだったからです。後に私は宇宙を理解するようになるのですが、その理解は科学によってではなく、聖書によって私の心と魂にもたらされたのです。
今私はオーストラリアの一流大学で物理学の教授をしています。そして物理学、宇宙物理学、宇宙論に関するたくさんの研究をしてきました。ですがそのどれも私に答えをもたらしませんでした。ただ、創造主の言葉である聖書というメガネを通して見たときにだけ、私を取り巻く世界や宇宙が理解できたのです。
聖書の最初に「初めに、創造主が天と地とを創造された」(創世記1:1)。と書かれていました。世界を創造したのはビッグバンではなく創造主だったのだと私は理解しました。創造主の名はヘブル語で「ヤハウェ」で、その意味は「自ら存在する方」「造られたのではなく常に存在していた方」です。
天地創造はわずか6,000年ほど前です。創造主は全宇宙を通常の6日で創造し、7日目に休まれました。私が大学で研究したことや教えられたことの全てとこの真実とに矛盾は見つけられません。なぜかというと、私たちには過去に行くことも、過去について実測することもできないという障壁があるからです。
プロの科学者はこのことを知っています。知への障壁は、宇宙論のアキレス腱だと論じる人もいます。 スローン・デジタル・スカイサーベイ(全天の25%に含まれる天体の詳細な宇宙地図作成プロジェクト)創設者の一人、プリンストン大学のジェームズ・ガンは「宇宙論は科学のように見えるかもしれないが、科学ではない。科学の基本的信条は繰り返し実験できることだが、宇宙論ではそれができない」と述べています。」宇宙の起源を繰り返し再現することはできないからです。
「物理学の目標は宇宙の基本的な力学を理解することだ。しかし、宇宙論はちょっと違う。その目標は、宇宙の歴史の再現だからだ。宇宙論は進化論や地質学のようなものだということを、研究者は認めるべきだ」とマイケル・ターナーは言う。
(エイドリアン・チョウ, 「尋常ではない難問:私たちの宇宙は、何と奇妙なことか?」サイエンス誌317:1848-1850, 2007)
【写真:銀河団】
プロの科学者には、この根本的な疑問の答えがわかりません。人は、信仰によってそれを信じなければならないのです。科学は答えを提供することができないからです。
「創造主は、このように人をご自分に似せて…創造された」(創造主訳聖書, 創世記1:27)。と書かれています。植物、動物、そして人は何十億年もかけて原始の海から進化したのではありません。
地球上のすべての人は、アダムの子孫です。エデンの園でアダムとエバは創造主に対して罪を犯しました。そのために創造主は、彼らと全世界を裁かれ、呪われました。
「一人の人アダムによって罪がこの世界に入って来、罪の結果、死が入って来た。そして、すべての人が罪を犯したので、死は全人類に広がっていった。」(創造主訳聖書、ローマ5:12)
「罪が支払うべき値は死、つまり創造主の呪いであるが、創造主が与えてくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスによって与えられる永遠の命、つまり創造主の永遠に渡る祝福である。」(創造主訳聖書、ローマ6:23)
すべての人は、死ななければなりません。「すべての人は、罪を持っているので、創造主の栄光に輝く救いに自分で到達することができなくなってしまった。」(創造主訳聖書、ローマ3:23)とあるからです。しかし、自分に罪があることがわかり、その罪を悔い改めたすべての人のために、罪の代価である死を、イエス・キリストが十字架上で身代わりに死なれ、私たちの罪の代価を完全に支払われました。これは、罪のない方、聖なる創造主にしかできないことです。
イエス様は、イエス様に信頼する人たちの罪の刑罰を身代わりに受けて死なれ、彼らに永遠のいのちを与えられました。あなたもイエス様に信頼して永遠のいのちを得ませんか?それとも創造主を無視し、創造主の用意された永遠のいのちを拒んで生きることを選ぶでしょうか?
創造主に対して罪のない人はどこにもいません。誰一人自分の努力で天国に行き着ける正しい人はいません。「あなたがたが罪から救い出されたのは、創造主の恵み以外の何ものでもなく、それは、あなたがたが信仰をもって受け入れたからである。そしてそれは、あなたがたが自分の力で獲得したものではなく、創造主が賜物としてくださったものである。自分の行いによって得たものではない。だから、だれ一人として誇ることはできないはずである。」(創造主訳聖書、エペソ2:8,9)
「しかし、たとい選民でなくても、このキリストを受け入れる人はだれでも、創造主の子供としての権威を頂くことができる。このキリストを信じる人はだれでも、救っていただくことができる。13 キリストを信じる人は、創造主が生れ変らせてくださるのであり、それは、決して先祖や親の身分や地位によるのではなく、人間の願望や意志によるのでもなく、ただ創造主の御心によるのである。」(創造主訳聖書、ヨハネ1:12,13)
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